今回は、性格の不一致、夫の病気による看病の疲れやモラハラ、そして義両親との関係など様々なことが原因で離婚をされた方の体験談です。
離婚を意識してから成立まで、実に16年かかり、その間10回以上の調停を行なっています。
体験談の方のプロフィール
プロフィール(女性)
- お住まい 愛知県
- 現在の年齢 53歳(2020年12月現在)
- 離婚時の年齢 49歳
- 職業 会社経営(コロナの影響で今は休業中です。)
- 結婚期間 平成8年9月~平成28年春頃
- 子供 あり(離婚時は18歳)
- 親権 自分
- 離婚種別 調停
- 養育費 50,000円/月
- 慰謝料 なし
- 財産分与 なし
元夫との出会い
元夫とは見合い結婚でした。
もともと結婚願望はなく、一生仕事を続けていきたいと思っていたので、結婚後も仕事を続けてよいという事。
4人兄弟の長女で、兄と私が父の望む結婚をしようと思い、生理的に受け付けない人でなければ、それなりにやっていけるだろうと思い結婚しました。
離婚を意識した理由
1、義両親との関係性
結納後に、義母が病のため長期入院中で、二度と歩けない状況だという事を知りました。
見合いから結婚まで、元夫は優しく思いやりもあり、私との生活を大切にしてくれていました。
結婚後の数か月は楽しかったです。
けれど、だんだんと「病気の母のために」と言われ我慢することが増えてきました。
元夫の実家には風呂がなく、義母が1日外泊をしたときに義父が世話をするので、
私たちのマンションを使うしかなく、鍵を渡さざるをえませんでした。
突然、義両親がマンションを使うので外出せざるを得ない事に不満はありました。
義母たちが帰った後には、風呂の髪の毛が掃除されていたり干してある私の下着までたたまれていても
寝室のクーラーの電源をいれ、ヒューズがとんでいても仕方ないと納得しました。
2、経済面での考えの違い
私はすべての預貯金と保険証書を元夫に見せました。
家族として私を守るために元夫の分も見せてほしいと申し出ましたが、
預貯金はあまりなく、『保険は義母に任せている。』『病気の義母から取り上げることが忍びない。』と言われました。
何もかも、病気の義母が1番優先される生活に疲れかけてきました。
結婚2年後に息子が生まれました。
その際、生命保険の名義を義母から息子に変えてほしいと頼みましたが、あやふやな返事で結局変えてはくれませんでした。
元夫の実家は経済的に余裕がある家ではなかったので、家族4人で寄り添って生きてきたと言われ、
少しは納得もしていましたが、
保険の名義を私ではなく、息子に変えることさえしなかった夫に一番大事なのは実家だという事を否が応でも認識することになりました。
息子と義母が溺れていたら、
迷うことなく、義母を助けるんだなと思うようになった事が離婚を考え始めたきっかけでした。
結婚4年後、息子が2歳になった頃、私の実家の母が倒れました。
看病という名目で荷物をまとめて実家に戻りました。
3、不仲による別居
うすうす私たちの不仲な様子に気づいていた父が所有しているマンションの鍵をくれそのまま息子と2人で暮らし始めました。
離婚も考えましたが、幼い息子を片親にする事、病気の義母にショックを与えると神戸在住の義弟に責められるという思い、
元夫よりは経済的に裕福だった私のわがままと思われる事、離婚を切り出した時の元夫のしつこさを想像し、
離婚を切り出せませんでした。
別居で不便を感じない事などの理由で、別居状態でもよいのかなと思いました。
元夫は私が家を出たのだと認識すると毎日、私のマンションに日参しましたが、
私の考えに気づいていたようで強引な行為をせず、しばらく様子を見ようと思っていたのだと思います。
それで別居の状態が続きました。
元夫は時間をかけてやり直そうと思っていたようでした。
そのため毎月生活費として10万円を振り込んでくれました。
別居後数か月後、息子が2歳の時、
息子を自分の家に泊めるというので了承しましたが、元夫の家に着くと、息子が大泣きし手に余ったようで、
元夫の家には泊まらず、元夫と息子が私の家に来ました。
息子が大泣きした理由はわかりませんが、私と離れたことの不安だったような気がしました。
4、元夫の病気による看病
たまには父親と過ごす時間も息子にとって良いと思い、その日は元夫を初めてマンションに泊めましたが、
その夜元夫は脳卒中をおこし、入院することになりました。
元夫が39歳、私が34歳の時でした。
脳卒中で左半身が麻痺しましたが、頭がしっかりとしていたので元夫はかなりショックを受けていました。
実家からは、看病に行く必要はないと言われましたが、
息子の父親として情けなくなってもらったら困るからサポートはするが妻としての気持ちは一切ないと告げ、
入院1か月、リハビリ病院2か月、その後私のマンションで3ヵ月看病をしました。
看病を理由に同居を始めると、
『世の中で自分が一番不幸。』
『周りはもっと自分に優しく接してくれてもいいのに。』という元夫の醸し出す雰囲気が、本当に苦痛でした。
何とか元夫を自分のマンションに帰しました。
特に別居について取り決めはしていませんでしたが、
元夫が要求すれば、3人で食事をしたり一緒に出掛けることもよくありました。
不仲な両親のそばで幼い子供が過ごすより、病気の父が、会社の近くに住み、
息子のために一生懸命働いているという事にしておきました。
数年後、息子が小学校低学年になった頃でそす。
不仲を感じさせないようにしたつもりでしたが、
『ママはパパの事嫌いなんだよね。パパから電話が来るとママ、ちょっと嫌そうだよね。』
といわれ、私もショックを受け、息子にはそれを感じさせないように意識するようになりました。
元夫が息子に嫌われないように、好かれようとすればするほど重たさを感じたのか、
息子が小学校の高学年になると、元夫に会いたがらなくなりました。
元夫は、私が何か悪口を言っていると思ったようです。
すると、息子の携帯電話に電話し、泣いて会いたいと訴えるようになりました。
ますます息子が会うのを嫌がり、約束をキャンセルすると、
オートロックの私たちのマンションのドアの前まで来て大きな声を出したので、
隣の奥さんが心配して出てきてくださり、結果的に警察を呼びました。
この時にきっぱり離婚しようと再度決意しました。
結婚後14年後、息子が12歳の時でした。
離婚までの経緯、その過程での悩み
別居中も生活費を払い続けていた元夫には離婚する意志が全くありませんでした。
現実的に、離婚について行動をおこそうと思い、まずネットで離婚について調べました。
法テラスに行っても、弁護士に相談しても費用がかかってしまうと思い、
元夫に関わることでお金を使うことは経済的にも、精神的にも嫌でした。
最終的には裁判になるにしても、まず調停が必要だという事を知り、
調停の申し立てにの費用が数千円であったので、自分で家庭裁判所に行き調停を申し込みました。
調停は10回くらいだったと思います。
男性一人と女性一人の調停委員の方が
別室で双方の言い分を聞いて
妥協案を提示してくださいました。
2回目か3回目の調停の時、
表向きは、酒・たばこ・浮気もなく、一般より若干高収入の元夫に
『裁判で離婚を成立させるのは難しいので、調停で済ませた方がいい。』
と調停委員の方からのアドバイスがありました。
慰謝料は請求せず、財産分与も求めず、息子の親権・監護権だけを争う調停を続けました。
ある程度の養育費と親権・監護権があればよかったのですが、元夫は、一旦は応じますが、その後意見を変えます。
自分にとって都合の悪いことは、
『自分が人として至らなかった反省している。』
『けれども、私は根が優しい性格なので理解してくれるとはずだ。』
などと言って、条件面で進展はしませんでした。
離婚する意志がない元夫は、コロコロと意見を変え、具体的に進展はしていませんでした。
調停員の方が呆れているようで、段々と調停員の方が私よりになってきた気がしました。
調停の4回目くらいだったと思いますが、
『元夫の性格を裁判で訴えても表現しにくく、ダラダラと長引くので、調停で終わらせた方がよい』とのアドバイスがありました。
なので、養育費はいらない、親権と監護権だけは渡さないという条件で進めました。
それも拒否されました。
本来調停では、私と元夫が同席することはないはずでしたが、
5回目の調停が始まる前私が待機していた控室のドアが開きました。
ドアを開けた人の顔が見える間もなく慌てて裁判所の方が飛んできました。
元夫だったそうです。
自分は必至でやり直そうとしているのに、私が拒否するのは、元夫の気持ちを、
『調停員がちゃんと伝えていない。直接私に話をすれば、私がわかってくれるはずだ』と言っていたそうです。
その後の調停では、
いつもの調停員の方2人ともう一人別の男性が加わり、計3名の方とお話をしました。
その後も同席してくださいました。
新しく加わった方の役職ははっきりと覚えていませんが、
裁判所の方で、調停や、裁判になった際に発言力があり、調停員の方より重責な立場にいる方だったと記憶しています。
その方が入って下さったことで
『私が嫌悪していた、元夫の表現しにくい性格を裁判所の方が理解してくれた。』と感じました。
6回目の調停の時でした。
帰ろうとエレベータに向かうと、元夫がいました。
双方すれ違うことがないよう、元夫を先に帰したようですが、元夫は帰らず私を待ち伏せていました。
よくは覚えていませんが、調停員の方ではない男性がいて夫を制止し、私をエレベータに乗せてくれました。
夫が何か言っていたのかも覚えていませんが、何か叫んでいました。
それからは、まず私が来るまで立ち去ることを確認してから、元夫をエレベータに乗せて帰すようにしてくださいました。
その後4回の調停がありましたが、
私の方が疲れてきてしまい、監護権を譲り、養育費は高校を卒業するまで5万という公正証書を作り調停不成立という事で調停を終わらせました。
今にして思うと、離婚は難しいと少し諦めた気持ちになっていました。
元夫と関わらないで済むのならばそれでいいと思っていました。
当時、細々と会社を経営し始めたので、経済的にも何とか親子二人で暮らしていく事ができました。
裁判が億劫だと感じ、4年くらい裁判をせず、別居の状態が続きましたが、
実家の家族の強い勧めで、正式に離婚しようと思いました。
その意思を元夫に伝えると、
裁判に費用がかかる事、会社に知られてしまうことを理由に裁判だけはしないでくれと言われました。
何度もしつこく連絡が来るのが嫌な事と、いつでも裁判に進めるという気持ちと、
双方韓国籍であるため、韓国での離婚の証明が必要になり、その手続きの煩雑さが面倒でもあり、
関わらなければよいという思いで裁判はしませんでした。
そのため、元夫も離婚届に署名はしてくれませんでした。
当時は、関わることが心底嫌でした。
息子が私立中学に入り、私学の助成金を受けようと思うと
籍が入っているため、双方の収入の証明が必要と言われ
元夫に頼もうかと思いましたが、
とにかく関わることが嫌でしたし、何か借りを作るような気もし
また、元夫が絶対に応じないだろうという思いで、
結局頼みませんでした。
その後、息子はエスカレータ式に高校へ入学し、
浪人後、私立の医学部に地域枠というシステムで学費の7割弱を返還不要の奨学金で入学しました。
さすがに、入学時の費用が高額なため元夫に援助を頼みましたが、
『自分は進路について相談されていない。』
『体のせいで減給になり援助できない。』あきらめるように言ってくれと言われました。
これ以上、元夫を軽蔑することはないだろうと思っていましたが、
本当に、心の底からろくでなしと思いました。
何とか教育ローンで息子を大学に入れ今も在学中です。
息子も成長したためか、あれほど嫌がっていた父親と月に1度会って1万円の小遣いをもらっているようです。
すでに義母が亡くなっていて、脳卒中の後遺症で体調もかなり悪くなったらしい元夫は、
自宅マンションを売り、叔母の住む隣の市に引っ越したそうです。
当然マンションを売り、収入があったことは私に知らせるはずもなく「離婚届を出す。」と連絡をしてきました。
今更、どうでもよいとは思いましたが、離婚届を提出しました。
別居を初めて16年後くらいだったような気がします。
後に、父経由で知りましたが、
資産を処分し、離婚届を出したくなったのは、障碍者用の補助を受けるためだったそうです。
息子の将来よりも、自分のの老後のためのお金は隠しておきたい人なんだと改めて思い本当に呆れました。
息子が幼いころ、
『自分にはあの人の血ながれてるの?』と泣かれたことがあったので、
元夫の事はあまり話さないようにし、今も学費や、離婚までのいきさつは詳しく話しませんでした。
けれど息子はうっすらと事情は理解しているようでした。
離婚が成立したときに、
息子には『離婚した』とだけ伝えました。
すると『よかったじゃん』穏やかにと言われました。
また実家の家族や友人に伝えると、
『おめでとう!』 『・・・って言っていいんだよね。』と言われました。
連絡が来ることはなくなっていたので、特にうれしいという気持ちはありませんでしたが、
私が持っているわずかばかりの資産を元夫と持っていかれることはない。
元夫の資産は息子一人が受け取れること。それには安心できました。
離婚の少し前に家を購入しましたが、
元夫が現れたり頼られたりすることが嫌だったので区役所に相談すると、
引っ越し前の住所に住民票を戻し、前の住所で離婚届を出せば現住所を知られずに済むと教えてもらい、
住民票を前のマンションに移動しました。
今となっては、元夫が障碍者になってしまったのにと、世間から非難されるかもと心配するよりも、
どれだけ面倒であろうと、離婚できる機を逸したことはよくなかったなと思います。
その時は面倒でも後々、もっと煩わしいことが起こってしまいました。
離婚していれば、多かれ少なかれ私学助成金を受け、生活に少し余裕が持てたこと。
万が一、元夫に何かおこっていれば、私が責任を負わなければならなかったかもしれません。
離婚を考えている方へアドバイス
養育費の要求も生活していくうえで大切だとは思いますが、
離婚を我慢している間の精神的な苦痛未来において、負債をかぶってしまう恐れもあるので
どこで折り合いをつけるのかをよく考えた方がよいと思います。
まとめ
今回の体験談のまとめ
- 離婚を意識した理由
1、義両親との関係性
2、経済的考えの違い
3、不仲による別居
4、元夫の病気による看病 - 離婚までの経緯
・10回に渡る調停の末、離婚成立 - 離婚を考えている方へアドバイス
・養育費の要求は必要だが、要求することによる精神的苦痛もあるので、折り合いをつけて考えて欲しい
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